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 では、どんな声が良い声なのでしょうか?1人1人顔(人相)が違うように、声も様々です。もともと持っている素声が、その人にとっては一番素敵なのです。しかし、いつも心穏やかでニコニコしていれば人相もそうなってくるように、素声も常に意識して磨くことにより、ますます素敵な声になるのは当然のことです。人間が生まれるとき、つまり赤ちゃんが初めて外気に触れたとき、産声を発します。これは万国共通、皆、ラ(A)の音と言われています。オギャーという声は、音質の差こそあれ、音高はほぼ一定なのだそうです。そのオギャーから始まる声ですが、持って生まれた声帯の音以外に、育っていく環境によっても、かなりの影響を受けると言われています。有名な声楽家、東 敦子さんの娘さんがイタリアにいた時、日本語ですらも、よく響く頭声で話していたのに、日本に帰国してそう月日が経たないうちに、完全に日本人ぽく響きがなくなってしまった、という話があります。外界に、日本語のように共鳴腔をあまり使わないで話す言語があふれていれば、自分も自然にそういう発音になってしまうのだそうですから恐ろしい事ですね。イタリア人のように、常に顔中がビンビン、カンカンなる言語を話している民族にとっては、良い発声、発音というのはそう難しいことではないにせよ、私たち日本人にとっては言語のハンディがあるかもしれません。しかし、発音をするポイントを少し移動させることにより、この問題は解決します。知らない人に電話をするとき、少々すました声を使うことがあると思いますが、だいたいあんな感じです。少しトーンが高くなりますが、はっきりとした発音をすることが可能ですね。

 声を出すということは、そう難しいことではありません。普段何気なく話をしている時はそれほど意識しないで声を発していますね。つまり、話す声と歌う声は原理的には全く同じだと思います。声帯が振動すれば、音が鳴るのです。良い声を出すために、「ノドを開けて」なんてよく言われます。ノドのどこの部分をどのように開けるのでしょうか?合唱団で、真面目に歌っている人の中には、正しい発声をするがためにノドを開けすぎてしまっていたり、空気を出しすぎてしまったりと、自分の持っている一番良い声を使うことの出来ない人がいます。とてももったいないことだと思います。楽に、楽しく歌うために限られた空気を有効に使い、声を自分の体でよく響かせ、そしてクリアーに発音するなどを心がけたいものですね。前に書いたように、声を出すことは、話すことと、そう掛け離れているわけではありません。きちんと閉じた声帯に空気が通過すれば、音を発することは出来るのです。声帯は、普段話をする時はきちんと閉じていますから、それ以上に開けたり、ギューと力を入れたりしてはいけません。
 歌うということは、全身運動であり、体の筋肉や神経を使うわけですが、正しい発声で歌うという難しさは、それらの運動が目に見えるわけでなく、感覚的なことに大部分委ねられているという点にあります。感覚の世界の話ですから、自分の五感(六感も使う?)をフルに使って感じるしかないのです。例えば「おなかを下げて」「頭を開けて」など、よく言われる表現なのですが、実際にはどんなことなのでしょうか。人によって、感じ方もまちまちですし、自分ではこうだろうと思ってやっていることも、本当に正しいのかどうか、本当は一人一人きちんと確認する必要があります。合唱団という多人数の集団では、全体の音でしか指導者は判断することが出来ません。一人一人の声までは一度に聞き分けることは不可能でしょう。ですから、自分の声をしっかり理解し、正しい良い声を掴んでおくことが必要です。
 良い発声をするために、2つのポイントがあります。1つは“支え”、そしてもう1つは“ひびき”です。


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大塚由乙 OHTSUKA Yoshito,混声合唱団フォンテ © 1992, 1998