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われらの指揮者 ”カラヤン”

(2)その後のカラヤン ( 初めてご覧の方は 「 (1) その前のカラヤン 」 をまずご覧下さい )

 VIVA  KARAYAN ! 我らがカラヤンはフリーになったのだ。
 昨年の春、自由を求めて煩わしくも厳しい会社生活に別れを告げた。
 さて、フリーになった彼はどうしているか、近況をお知らせしよう。
 今、彼の庭の大きな桜の木の下に、緑色の壁に白い小窓の小さな家が建っている。二ヶ月 かかって彼が建てたものである。なんと! 我らが指揮者はカーペンターだったのだ。
 子どものころ大工になりたかった彼は、この10u位の緑の小さな家を、工作場として建てた のである。その中でうれしそうにビールを飲んでいる姿を見ると、子どものころ読んだトムソーヤ ーとハックルベリーの隠れ家を思い出させる。指揮棒とトンカチの好きな指揮者は珍しいかな?

 プロの指揮者として出発した彼は、目下いろいろなセミナーに参加したりして、日夜勉強に余 念がない。また現在ではフォンテのほかに数団体の指揮を引き受けている。そのエリアも流山 を中心として我孫子・長野と広がりつつあり、だんだん忙しくなってきている。是非これからの 活躍をご期待いただきたい。

24 Oct. 2000   まみむめも

 いかがでしたか? われらが”カラヤン”のプロフィル。
 さて、今度はまじめな指揮者・唐沢昌伸氏のプロフィルがもう一つあります。「演奏会」のページでご覧ください。

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(1)その前のカラヤン  ( 1998 )

 発団23年になる我が団であるが、10数年前我々は、指揮者・唐沢氏に 『ウルサコヴィッチ・モンクイースキー・唐(カラ)ヤン』のニックネームを進呈した。
 その我らの愛すべきカラヤンの人となりを紹介しよう。
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 その名の通り、練習中の注意の多さと口の悪さはたいへんなものであるが、ここ数年は少しずつ緩和されてきている。**のせいか? ちなみに唐沢語録、『 3歩あるくと忘れる、ニワトリよりひどい頭だ 』 とか、『 オバサンがオズオズ歌って、オズさん ( おじさんのシャレ ) になるな 』 とか、『 アーメンのメン ( 麺 ) はコシがなくてはいけない 』 等々・・・。ダジャレといやみがポンポン出てくる。シャレに対しての受けが良いと、とても嬉しそうな顔をする。
 しかし音に対するこだわりは独特のものがあり、彼の好きなルネッサンス曲等は純正調なる音階にこだわり、その和音で倍音が鳴る(なかなか鳴らない)ことに喜びを持っている。そんな彼に傾倒する人も多く、今の団が成り立っている元と云ってもよい。
 また、彼は完全なアマチュア指揮者である。外資系の会社に勤務する、凄腕ビジネスマンの顔も持っている。海外出張も年間数度、しかしその度チョコレートやジェリービーンズ等、酒好きの彼には似つかわしくない可愛いおみやげを買ってきてくれる優しさも持っている。そしてたいへんなシャイでもある。その『 照れ 』 は、時に無愛想となり、女性団員を歎かせるもとともなっている。
 団の運営については団員のしっかりしたサポートがついているので、カラヤンとしては音楽のことのみに専念することができる。本当にこれだけのスタッフを持った指揮者は幸せと云えよう????。
 しかし、アマチュア故にノーギャラで毎年毎年頑張ってくれているカラヤンには、心から感謝している。
 最近、髪はすっかり白くなり、指揮者としての風格も出てきたように見えるのは、団員としての欲目であろうか。
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 以上が大まかな唐沢氏の人となりであるが、興味のある方はぜひ見物にお越しください。大好きな酒を間にして、話に花が咲くことでしょう。

21 June 1998 匿名子


ウルサさが  これで減ったの?と  問う新人   ( 字余り )  ふへほ

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