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関根榮一作詞 みずうみの歌 歌詞の辞典 |
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みずうみの歌 混声合唱のためのカンタータ( 音楽之友社 1987 )
一、奥びわの虹 ( 琵琶湖北部が題材 )
- おくびわ 【奥びわ】
- 琵琶湖北部とその周辺地域。湖北。
- かんのんのさと 【観音の里】
- 奥びわ の地域には数多くの観音像があり、高月町は 「 観音の里 」 と称している。 また湖北一帯を観音の里と呼ぶ本もある。
高月町渡岸寺(どうがんじ)の国宝・十一面観音は近江で一番美しい仏像といわれている。この像は貞観時代に作られたものだが、浅井×織田の小谷城の合戦で寺が焼け落ちたとき、村民の手で土中に埋蔵されて難を免れた。現在では向源寺(一般には渡岸寺と呼ばれる)の観音堂脇の収蔵庫に安置されている。近くの 「 高月町立 観音の里歴史民俗資料館 」 では多くの観音像が散在するこの地方の観音信仰を解説している。また小説 「 星と祭 」 で湖北地方の十一面観音を描き、高月町との暖かい交流をもった井上靖を紹介する 「 井上靖記念室 」 が町立図書館にできている。
- たかつき 【高月】
- 琵琶湖の最奥部を包むように高月町がある。「 観音の里 」参照。
- ながはま 【長浜】
- 琵琶湖北東岸の中心都市で、古い歴史を持つ港町。一時期羽柴秀吉の城下町となった。
- うみ 【湖】
- 琵琶湖のこと。琵琶湖は滋賀県の面積の6分の1を占める。古くは淡海(おうみ)、近江之湖、鳰(にお)の海と呼ばれていたが、形が楽器の琵琶に似ることから江戸時代に琵琶湖と名付けられたと言われる。
- おぼれだに 【おぼれ谷】
- 山地が海や湖に沈降してできた谷地形。リアス式の海 ( 湖 ) 岸を形作る。琵琶湖北部の入り江はおぼれ谷の地形となっている。
- えり 【魚入 (魚偏に旁が入=ユニコード9B5Cですが文字が出ません)】
- 竹や葦で作った簀(す)あるいは網を水中に立てて魚群の通路をさえぎり、囲いの中に誘導する漁具。一度中に魚群が入るとなかなか出られない構造になっている。
「 えり 」 は琵琶湖のほか霞ヶ浦、北浦などにもあるそうで、おもな獲物は、ハス、フナ、コイ、ウグイなどだそうだ。
リンクで、 えりの写真が見られます
滋賀県の あふみヴォーカルアンサンブル さんが、 あふみヴォーカルアンサンブルについて のページに 『 琵琶湖のえり 』 の写真を掲載してくださいました。
- いまづ 【今津】
- 長浜とともに 『 琵琶湖就航の歌 』 にも登場する、琵琶湖北西岸の代表的な町。
- ちくぶじま 【竹生島】
- 湖北に浮かぶ、周囲約2キロの美しい小島。湖上第一の景勝地。西国三十三霊場中の第三十番の札所である寶厳寺は、聖武帝の勅を奉じた行基によって天平3年に建立されたとのこと。
この島の近くで琵琶湖は最も深くなり、最大水深は100mを越える。
「 比良の暮雪 」 に始まる 「 近江八景 」 は室町時代に選ばれたものだが、その多くが昔日の面影を失ったことと、所在が南湖 ( 琵琶湖大橋より南 ) に片寄ることから、1950年に新たに 「 琵琶湖八景 」 が選ばれた。その中に竹生島は 「 深緑−竹生島の沈影 」 のタイトルで選ばれている。みどり深い山影を湖面に映す。
二、小江の雪 ( 余呉湖周辺が題材 )
- こうみ 【小江】
- 琵琶湖の北、賤ヶ岳を隔てたところに小さな湖 「 余呉湖 ( よごこ ) 」 がある。余呉湖はまた 「 よごのうみ 」 とも読まれる。
蕉門の路通に
「 鳥どもも 寝入っているか 余呉の海 」
の名句があるが、冬はまさにそういう感じの湖で、・・・。 さて、この湖が上古の 『 伊香ノ小江 ( いかごのおうみ ) 』 である。
神田秀夫 日本の説話 筑摩書房 1963
古くは『 大江 』 と呼ばれる琵琶湖に対して、余呉湖は 『 伊香の小江 』 呼ばれていたようだ。 『 伊香 』 はこの地の郡の名で、上古には 『 いかご 』、現在では『 いか 』 と読む。
余呉湖周辺の冬は雪深くて冬季の耕作に適さないので、古くから裏作の代わりに養蚕が行われてきた。特に明治・大正期に盛んだった。この歌詞でも冬の雪の白と繭の白、そして次々項の羽衣のうすぎぬの白が対比されている。
- よごのやなぎ 【余呉の柳】
- 余呉湖の北辺に、天女が衣を掛けたという柳の大木があり、「 天女の衣掛柳 」 と名付けられている。
ところで、余呉町を紹介するホームページに みえはるくんのホームページ がある。この中の 余呉町の紹介 −雪の余呉町 のページでは衣掛柳の写真が見られる (1999/5/8)。
- あまのはごろも 【天の羽衣】
- 上古、 『 伊香ノ小江 ( いかごのおうみ:余呉湖 ) 』 に天の八乙女 ( やおとめ ) が8羽の白鳥となって降りてきて、水浴をした。西の山からこれを見ていた伊香刀美 ( いかとみ ) は 「 鳥にしては大きい 」 と思って来てみると、天女である。その美しい姿に恋心を起こし、密かに天の羽衣を盗み隠した。これは末の妹の羽衣だった。やがて天女たちは伊香刀美の出現に気付き、7人の姉たちは羽衣をまとって飛び立ったが、末の妹一人は飛び去れず、ついに伊香刀美と夫婦になった。天女は伊香連 ( いかごのむらじ ) らの祖先となる4人の子を産んだが、やがて天の羽衣を探し出し、飛び去ってしまった。そこで伊香刀美はひとり空床を守って詠嘆やまなかったという。(神田秀夫・日本の説話=筑摩書房1963から編集)
神田氏は、もともとわが国には羽衣説話は大変少なく、上古に新羅から帰化して近江の国に住み着いた、天の日槍( あめのひぼこ ) の末裔が、大和政権の東進の圧力から逃れるために、湖北を経由して若狭−丹後−但馬に移り住む途中に残した説話だろうとしている。この経路上によく似た羽衣説話がある。
- おおと、にしやま、ことのいと 【大音、西山、琴の糸】
- 大音、西山は賤ヶ岳の南にある、木之本町の集落で、和楽器(琴など)用の糸の生産で有名。
「 糸とり資料保存館 」 では琴糸の糸とりの実演も見られる。
大音は古代は伊香郡の中心地で、伊香具 ( いかぐ ) 神社がある。そこには伊香郡開拓の祖が祭神として祀られるが、前項の伊香刀美 ( いかとみ )と同一だとされる。 「 大音糸 」 は琴糸や刀の堤緒用の糸として知られる。
西山糸も大音糸と同じく、和楽器用糸として知られる。空海が皇室に献上し、その良質が京で認められたという。
三、安土夢幻 ( 織田信長と安土城城址が題材 )
- あづち 【安土】
- 織田信長が安土山に空前の城を築き、天下に布武する根拠地としたが、本能寺の変のときに混乱のなかで焼け落ちた。城下町ものちに豊臣秀次の八幡城(近江八幡市)にそっくり移転した。それで今は信長の墓とそれを守る総見寺、石積みなどだけが残る。
安土城はその後の城郭建築の模範となった。天守閣、石積みなども安土城に始まる。石積みは穴太積( あのうづみ ) と呼ばれる高度に技巧的なもので、比叡山の堂塔伽藍の構築のために近江の穴太 (あのう ) に集まり住んでいた技術者集団を動員したものだ。信長は比叡山を滅ぼして穴太積 ( あのうづみ ) を受け継いだようだ。
- ぐれんの 【紅蓮の】
- 『 炎 』 という言葉のための形容詞で、猛火の炎の色を表す。
- うつけ 【うつけ】
- おろかもの。信長の若い頃を世人が評した言葉。(『 みずうみの歌 』 の歌詞の註より)
- ばさら 【ばさら】
- 室町時代の流行語で、無遠慮、派手、だて、乱れるなどの意味。信長の若い頃を世人が評した言葉。(『 みずうみの歌 』 の歌詞の註より)
四、湖国から愛をあなたに ( 比叡山周辺が題材 )
- ここく 【湖国】
- 近江の国。
- いちぐうをてらすほかげ 【一隅を照らす灯影】
- 延暦寺根本中堂には 「 消えずの法灯 」 があって、1200年前に伝教大師:最澄が灯して以来消えたことがないという。この歌で灯影 ( ほかげ )は比叡山延暦寺を象徴するもの。
天台宗では昭和46年の、伝教大師・最澄1150年忌を機会に 「 一隅を照らす運動 」 をはじめた。
最澄は真の大乗仏教者としての後継者の養成に意を用い、「 山家学生式 」 を著して修行僧の進むべき道を示していますが、その冒頭に中国の故事を借りて人材養成の大切さを説いた有名な箇所がありますので紹介しておきます。
国宝とは何ものぞ。 宝とは道心なり。 道心ある人を名付けて国宝となす。 故に古人の曰く、「 径寸十枚これ国宝にあらず。 一隅を照らす。 これ即ち国宝なり 」 と。
藤井正治 仏教入門 人間学としての宗教 潮文社 1992
( 径寸−−直径約3センチ−−とは貨幣のことか )
とすると、延暦寺が輩出した源信、法然、栄西、親鸞、日蓮、道元などは第一級の国宝か。
- さやかなまち 【さやかな集落】
- 比叡山麓の石積と苔と草木に包まれた、昔からの話を秘めて静まる集落と来れば、坂本の町しかなかろう。この町は穴太積 ( あのうづみ ) という独特の石積みを施した、比叡の僧の隠居所−里坊−の町だ。なかでも代々の天台座主の住居:滋賀院には、苔むした石垣と堂々たる白壁、そして雄大な庭園がある。
五、みずうみの歌
- ひお 【氷魚】
- 鮎の稚魚。琵琶湖の特産。全国の河川に放流される鮎苗の90%は琵琶湖で養殖されたもの。
- はっこうになみだち 【八荒に波立ち】
- 広辞苑では 『 八荒 : 国の八方の果て。全世界。八極 』 とあるが、ここでは次の意だろう。
真冬から早春にかけて、若狭湾から吹いてくる北西季節風が比良山地を吹き下り、強い寒風となって琵琶湖一帯に吹き荒れることがある。昔、比良大明神に叡山僧徒が法華八講を修した陰暦2月24日前後に吹くことが多かったので、この風を 「 比良八講 」 と呼んだ。今日では、この季節の湖の荒れと寒さをさして 「 比良八荒 」 という。
ブルーガイドパック近江、若狭、丹後半島 」 実業之日本社 1993
なお、小学館 日本国語大辞典 縮刷版第1版 1981 には、「 比良の八講荒れ 」 の小見出し語がある。これが 「 比良八荒 」 に進化したのだろう。
- かいづ 【海津】
- 琵琶湖北岸の町。中世には交通の要衝として今津などと繁栄を競った。
- はすをあげ つゆがあける 【ハスを揚げ 梅雨があける】
- ハスはコイ科の淡水魚で琵琶湖・淀川水系と福井県の三方湖周辺などの特産。長浜市の あふみヴォーカルアンサンブル さんからメールで教えて頂いたのだが、「 ハスは梅雨明けの頃が旬。ハスを揚げる−獲る−ことが湖国の梅雨明けどきの風物詩 」 なのだ。 ・ ・ ・ ハスを揚げはじめたら梅雨が明ける、という時間関係があるのだろう。
また大津市の Mixed Chorus AUGMENT (AUG) さんから頂いたメールでは、ハスは塩焼き、煮付けにして美味 」 とのこと。
実は 私は 当初、この少しあとに続く 「 フナを漬け 」 という歌詞との対比から、加工または調理かも、と思い、唐揚げにでもするのではないか、とバカなことを考えてご意見を求めたのだが、おかげでこれは見当違いだったことがわかった。 あふみヴォーカルアンサンブル さん、AUG さんの両方からご教示いただいた。ありがとうございました。
- ふなをつけ おおつまつり 【フナを漬け 大津祭】
- 「 フナを漬け 」 というのはフナズシを作ること。琵琶湖の特産のニゴロブナ、それも4〜5月頃の卵(腹子)を抱えたものを使って、まず2〜3ヶ月塩に漬け、次にふつうは土用前=7月頃= ( この部分、AUGさんからの情報 ) には、塩をふったご飯に本漬けとして半年〜1年漬け込んで発酵させる。漬けあがったらフナに付いているご飯をきれいに取り除いて、そのまま酒の肴・ご飯のおかずとして、吸い物にして、あるいはお茶漬けにして食べる。詳細はEFC ( 環境と食の研究会 ) の 『 ザ・フナズシ 』 というホームページで。調理法やフナズシが食べられるお店の紹介もある。
Mixed Chorus AUGMENT (AUG) さんから頂いたメールでは、フナズシは日本のすしの原型で、いろんな行事とも結びついているのだそうだ。「 関東の 『 くさや 』 とは全く違った臭さで、一種の腐敗臭は強烈。ブルーチーズかフナ寿司かと言う人もいるが、慣れれば大変おいしい。お酒のあてには最高 」 とのこと。そして、10年くらい前までお母さんが漬けておられたフナズシを、どんなときに食べさせてもらったかというと 「 親類のお客があった日 」 だったそうで、当地の最大の 「 晴れ食 」 のようだ。ただこのごろはブラックバスの繁殖でニゴロブナが激減し、家庭で漬けることは非常に困難になってしまい、大津の町の旧家でも、今は専門店が漬けたフナズシを買い求めることになるようだ。
みなさんも試してみますか? 「 プロの作るフナ寿司は、においを出来るだけ押さえる漬け方がしてある 」 そうですヨ。
ニゴロブナばかりでなく、ゲンゴロウブナ(ヘラブナ)も琵琶湖の特産だったそうだ。が、これは移植によって全国に広がり、釣り天狗を楽しませてくれている。
大津祭は10月10日。京都の祇園祭のようなお祭り。これでわからない方も、わかったような気になった方も、 大津市観光協会の 『 びわ湖大津 』 のホームページの 大津祭のページ でご覧ください。
- おきのしま 【沖島】
- 沖島は近江八幡市の沖に浮かぶ、琵琶湖中で最大の島。
昭文社の 「 エリアマップ滋賀県 」 の解説 ( 1996 ) によると、約700人の住民が漁業中心の生活を営むとある。
- もろこ 【モロコ】
- コイ科の淡水魚。体長は12センチくらいになり、照り焼き、鮨などにして美味で、特に琵琶湖沿岸が有名。
- はまだき 【浜煮き】
- 「 たく 」 というのは、関西圏では煮る( にる )ことと同義なのだと思う。
あふみヴォーカルアンサンブル さんから頂いたメールを紹介させて下さい。
沖島の漁師さんの料理に「 浜煮 」というものがあるそうです。
とれたての魚を大なべでぐつぐつ煮て、薄い醤油味をつけてあるそうです。
佃煮ではなく、沖すきに近いものだそうです。
妻の同僚が食べたことがあるそうです。
「 とても美味い 」 とのことです。
おいしそう! 読んでいるだけでよだれが出そう!! 琵琶湖周辺では小鮎や鮒などの佃煮も名物で、これを 「 浜煮( だ )き 」 と名付けていることも多いようだが、歌詞で 「 沖島 鯉にモロコ 浜煮( だ )きの匂いに ・ ・ ・ 」 というのは、これは鍋でなくては、と思う。
氷魚を追う季節にはじまり、八荒の時期、海津の桜をうつす時期、ハス漁がはじまり、梅雨明けを迎える時期、梅雨明け直後の花火大会、そしてフナを漬ける夏。秋には大津祭りを楽しむと、鳥が渡っていく時期を迎え、そして波間に紅葉を浮かべる季節となる ・ ・ ・ すると沖島の浜煮きは地曳き網 ( 今はもう行われていないか? ) の曳き初めの日などの、漁師さんのお正月の行事か ・ ・ ・
この歌には湖岸の人々に、うみの幸と同時に豊かな季節感を与えてくれるびわ湖の豊かさが歌い上げられている。だからこそ ・ ・ ・ 次項へ
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- せんこのうみ 【千古の湖】
- 「 千古 」 は太古から続くもの。また未来に向かっても永遠であること。太古からの歴史を湖水に湛えて今に存在する琵琶湖を、子供たちの代の未来に向かっても、永遠に残したいものです。
この歌は、「 わたしたちは 子供に 美しい 千古の 湖を残しましょう 湖よ びわ湖よ 母よ 湖の母よ いつまでも びわ湖よ 」 と終わる。
作曲の 青島広志氏 は、『 湖 ( うみ ) の母よ 』 が 『 生みの母よ 』 に通じることを発見してうれしかったということを書いている。( 楽譜 『 みずうみの歌 』 への寄稿 )
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以上は文中に掲載した文献のほか、次の資料を参考にしました。
原色 現代新百科事典 第1版 学研 1968
新村出 編 広辞苑 第3版 岩波書店 1983
日本歴史地名大系第25巻 滋賀県の地名 平凡社 1991
ふるさとの文化遺産 郷土資料辞典25 滋賀県 人文社 1997
司馬遼太郎、白洲正子、水上勉 他 とんぼの本 近江路散歩 新潮社 1988
後藤親郎、瀬戸内寂聴、光出澄道 他 とんぼの本 比叡山延暦寺1200年 新潮社 1986
この 「 歌詞の辞典 」 の編集にあたって、滋賀県のあふみヴォーカルアンサンブルさん、Mixed Chorus AUGMENT (AUG) さんから大変貴重なアドバイスを頂きました。お礼申し上げます。
文責 mf @ fonte
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